紅葉 - 銀閣寺(慈照寺)
月待山からこの銀閣を見たとき「今年1番の紅葉はここかも!」と思わってしまいました。
派手さはありませんが、それこそ東山文化!わびさびというのでしょうか。
これを見てしまったら、この後の紅葉めぐりは惰性になってしまいそうな気さえします。
政治的無能力者とまで言われた足利義政ですが、これを見て、
「山荘(庭)作りにかけては、おじいさん(義光)を超えたで!」と、つい思ってしまいました。
私の想像以上、きょうの銀閣寺はどこまかしこも、本当に美しく思えました。
8代将軍 足利義政が祖父の建てた金閣寺をまねて造営したのが銀閣寺(慈照寺)
各大名から莫大な資金を集め、亡くなるまでこの山荘作りに没頭し続けました。
月待山から見る銀閣(観音殿)、そしてその向こうに広がる人々の暮らし。
若くして亡くなった将軍の兄の後を継いだ義政。
義政が将軍だった頃、都では疫病が大流行し、慢性化した飢饉はピークを迎えます。
人口の2/3が餓死し、そのおびただしい数の遺体で、鴨川の水がせき止められたとさえ言われています。
疫病、飢饉、そして将軍職をめぐっての後継者争い。
それが元でおこった応仁の乱。
11年間におよぶ戦いで都は焦土と化します。
なんの手立ても打てないまま義政は、わずか8才の実子に職を譲り、
逃げるように東山のこの地に隠遁し、ひたすら「美」を追求し始めるのです。
錦鏡池のほとりに建つ東求堂。
義政は晩年 東求堂にある「同仁斎」という4畳半の部屋で、ひとり過ごしたといいます。
色とりどりの紅葉に彩られた東求堂ですが、
義政の時代も、こんなふうに紅葉し、それを愛でたのでしょうか。
朝日が茶色い杮葺の観音殿を照らしたとき、たしかに銀色に輝く銀閣を見たような気がしました。
義政が銀箔を張ろうと思ったかどうかは分かりませんが、
いやいや、銀閣はこれでいい!これがいい!となぜだか思ってしまいました。
銀閣寺には初めて行きましたが、予想をはるかに超えて素晴らしく綺麗でした。
by machizuki09
| 2011-11-23 01:36
| 銀閣寺