一年365日 京日和 Ⅱ

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紅葉 - 常寂光寺

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常寂光寺がある嵯峨小倉山は、藤原定家が「小倉百人一首」をまとめたとされる場所で有名ですが、
それからおよそ400年後、日禎上人(にっしん)が、本圀寺(ほんこくじ)16世の座を降りて
隠棲した場所でもあります。
常寂光寺は日蓮宗のお寺ですが、日蓮宗には「不受不施」という教義があります。
他宗派信者から、布施を受けたり、これに法施しないという教えです。

太閤秀吉は晩年、方広寺大仏殿開眼の千僧供養に、日蓮宗に出仕を命じてきました。
宗派の異なる秀吉からの無理な命令に、内部も意見が分かれます。
が、この命令に従わなかったのが、妙覚寺の日奥(にちおう)と、本圀寺の日禎でした。
日奥は丹波小泉に隠れ、日禎はここ嵯峨小倉山に隠棲したのでした。

当時、この辺り一帯を所有していたのは、嵐山に流れる保津川を掘削した角倉了以(すみのくらりょうい)で、
この土地を親交のあった日禎に寄進したようです。
それというのも日禎が、藤原定家やこの小倉山に足をとめた西行を、
敬慕していたのを知っていたからだろうとされています。









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常寂光寺は、境内全体(山全体)が朱一色に染まっていました。
鐘楼からの眺めは圧巻で、狂おしいくらいの紅葉の海でした。
このお寺も、他の寺院と同じように戦火に遭い、廃墟寸前まで荒れたことがあるようです。
昭和になり、再建の声が大きくなった頃、ようやく観光寺院として歩み始めます。
戦争中に資源提供として失った梵鐘が復元できたのは、それから何年も後のことでした。

「戦争で失われた鐘は再び作ることは出来ても、失われた命は再び蘇らせることは出来ない」と、
梵鐘に刻まれているそうです。
鐘楼を見上げながら、重い歴史を感じてしまいました。







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女の碑






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10年後も20年後も、こうして寄り添って紅葉を見上げられるといいですね。
<2010.11.25撮影>

次は宝筐院(ほうきょういん)へと続きます。
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by machizuki09 | 2010-11-26 17:07 | 常寂光寺
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The key to success is starting and not stopping.わかっちゃいるけどそれがなかなか難しい…


by machizuki09
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