一年365日 京日和 Ⅱ

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カテゴリ:安楽寺( 1 )

紅葉始め - 安楽寺

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哲学の道は北は銀閣寺から、南は熊野若王子神社まで、琵琶湖疏水沿いに歩ける散歩道です。
そのほぼ真ん中あたり、少し山際にあるのが安楽寺。
正式には「住蓮山安楽寺(じゅうれんざんあんらくじ)」と言います。
そんなに広くない間口、なだらかな石段の上に、親しみを感じる茅葺の山門が見えます。
両側には楓があり、晩秋には石段を真っ赤に染める散紅葉が見られるそうです。

境内に入ると、膝丈くらいに四角く刈り揃えられたサツキが、本堂までの道を導いてくれます。
この日は、たくさんの千両が赤い実をつけていました。
普段は非公開のお寺ですが、春と秋に特別公開されます。
ちょうど3日から一般公開されていて、とても幸運でした。





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住蓮山安楽寺には、悲しいお話が残されています。

鎌倉時代のはじめ、法然上人の弟子の住蓮上人と安楽上人が、
この安楽寺より少し東に「鹿ヶ谷草庵」を結びました。
当時の仏教は、権力者や貴族達だけのものでしたが、
法然上人は「すべての人は平等で、南無阿弥陀仏を唱えていれば救われる」と説き、
武士や農民、女性達にも広く支持されました。

両上人の声明はとても美しく聴く人の心を揺さぶり、参拝者の中には出家して仏門に入る者もいました。
そのなかに後鳥羽上皇に仕えていた女官、松虫姫と鈴虫姫という姉妹がいました。
二人とも容姿端麗で教養も豊富だったことから、上皇にことさら寵愛されていました。
でもそのことが他の女官の嫉妬を集め、虚飾に満ちた御所での生活に苦悩していました。

1206年、後鳥羽上皇が紀州熊野に50日間の参詣の留守中、
松虫姫と鈴虫姫は清水寺で法然上人の説法を聞き、
南無阿弥陀仏によって救われるほかに道はないと思いました。
御所に戻ってからもその説法が忘れられず、夜中に小御所を忍び出して、
鹿ヶ谷草庵を訪れ、住蓮上人と安楽上人に出家を願い出ます。

両上人は後鳥羽上皇の許しもないままに、そんなことは無理だとし、
これまでどおり、信仰を持ちながら、女官として仕えなさいと論しますが、
二人とも二度と御所には戻らないとの硬い決意を知り、その願いを聞き入れます。
松虫姫19才、鈴虫姫17才の時です。

このことを知った上皇は激怒します。
日頃から法然らの教えを快く思っていなかった上皇は、松虫姫を出家させた住蓮上人を近江(滋賀県)で斬首。
鈴虫姫を出家させた安楽上人を、京都の六条河原で斬首の刑に処します。
それだけにとどまらず、高齢の法然上人を讃岐に、親鸞聖人は越後に流罪させました。
両上人亡き後、鹿ヶ谷草庵は荒廃しましたが、流罪地から帰京した法然が草庵を復興させ、
二人の名をとり、住蓮山安楽寺として両上人の菩提を弔ったということです。

その後の松虫姫と鈴虫姫ですが、瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくち)の光明寺に移り、
そこで念仏に明け暮れる余生を送り、松虫姫は35才、鈴虫姫は45才で往生を遂げたということです。





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客殿から見える庭の木々も、色づき始めました。





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一般公開は、12月5日までのうち23日間です。
もし参拝される方がありましたら、変則的な日程なので、HPなどで確認して下さいね。

<2010.11.3撮影>
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by machizuki09 | 2010-11-04 21:12 | 安楽寺
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The key to success is starting and not stopping.わかっちゃいるけどそれがなかなか難しい…


by machizuki09
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